足掻き続ける、ということ
ある程度、経済に関わってきた人と話していると、
日常的に感じることがある。
話が、合わない。
正確には、私の言いたいことが、相手にイメージされていない感覚。
経済界には、暗黙のルールのようなものがある。
売上、利益、成長率、市場シェア、評価額。
それらの数字を中心にして、議論が組み立てられる。
その枠内でなら、話は通じる。
だが、枠の外に話を持ち出した瞬間、空気が変わる。
「で、それで何が儲かるのか」という顔をされる。
あるいは、優しい人なら歩み寄ろうとしてくれる。
ただ、歩み寄ってくれた人ですら、
私が見ている景色までは、届いていない。
これは、誰かを責めたい話ではない。
私自身、長くその枠の中にいた。
事業の数字を追い、市場を読み、シェアを争ってきた。
その経験には意味があった。今もその知見を使っている。
ただ、枠の中だけで考えている人と話していると、
あることに気づく。
問いがない。
「なぜ、それをするのか」という問いが、抜け落ちている。
なぜ売上を伸ばすのか。
なぜ市場を獲るのか。
なぜ、勝者がすべてを取るのか。
「Winner take all」という言葉がある。
勝者総取り、と訳される。
この言葉を、誰も恥ずかしがらずに使う。
ポジティブな響きで使われることすらある。
ギャンブルの世界の話なら、分かる。
リスクを承知で参加した人たちの中で、誰かが全部持っていく。
それはゲームのルールだ。
だが、パブリックカンパニーが、
社会のインフラに近いサービスが、
「勝者総取り」を目指して動いている。
それは、誰のためのゲームなのか。
何のために、全部を獲る必要があるのか。
ここを問おうとすると、話は合わなくなる。
「それを問うても、現実は動かない」と言われる。
あるいは、「理想論だ」と分類される。
私には、これが理想論には思えない。
マクロで見れば、経済は成長している。
ミクロで見ると、何かが擦り切れている。
データの上では、サービスは増え、選択肢は広がっている。
身体で感じていると、息苦しさは増えている。
この乖離は、誰かが説明する必要がある。
人類は、ここまで来た。
飢え死にする人は減った。
寒さで凍える子供も減った。
夜の街は明るくなり、医療は届くようになった。
これは、間違いなく、何かの達成だ。
経済の力が、確かに人を救ってきた。
私は経済を否定したいのではない。
問題は、ライフラインの先に何があるかだ。
最低限を超えた人類は、次に何を目指すのか。
私の答えは、こうだ。
人って、最高だ。
ひとりの人生に、どれだけのものが詰まっているか。
泣くこと、笑うこと、誰かを愛すること、
何かを作ること、何かに気づくこと、年を重ねること。
そのひとつひとつが、本来、素晴らしいものだ。
そういう人生を、多くの人が歩めるようにする。
そのために、社会を作り直す。
それが、ライフラインの次に来るべきテーマだ。
人々の生活の質、本当の意味での豊かさ、
それは、マクロのデータでは見えない。
ミクロの、手触りの中にしかない。
そして、それを高めていくために、私ができることは、事業作りだ。
他の手段もある。政治、芸術、研究。
だが、私は、事業を作る。
それが、いい事業を作るということだ。
結果が出るかどうかは、分からない。
私が生きている間に、何かが変わる保証もない。
それでも、足掻き続ける。
足掻き続けるそのスタンスを、ここに記録していく。
それが、このシリーズを書く意味だ。